和さんのエッセイ


        目次

桃・栗3年 柿8年 
時の移ろいと米作り 
何かがおかしい 
干し芋 
故郷
 
お花見二態 
お正月 
大晦日
餅つき騒動記 
日々好日 
畑仕事も終盤
スローライフ
そのための検診!
3犬3様 


桃・栗3年 柿8年

2004年に夫婦で暮らすバリアフリーの家を建ててから、
裏庭に小梅・桃・栗・プラム・ゆず・ポンカン・柿の苗木を植えた。
家の敷地にはもともと梅の木が15本ほど植えてあったが、
整地のために白加賀と言う種類の梅の木が3本だけになってしまった。
「何か花と実の楽しめるもの」が良いと思って欲張って植えたものだ。
実が採れるようになるには、どれも何年もかかるだろうが、
春に花だけでも楽しめれば嬉しいと思っている。
中でも、主人の好きな柿が成るまでには、「桃・栗3年 柿8年」と
俗に8年は必要と言われているので、
「それまでは元気でいましょう!」との覚悟を込めて植えたものだ。
8年はまだまだ先と、気にもとめていなかったが、8年も待たせるのは気の毒と思ったのだろうか?
青々した葉っぱに隠れるように富有柿の小さな実が2個着いているのを見つけた。秋が楽しみだ。



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時の移ろいと米作り 2007年7月4日

我が家の米作りは10数年来頼んでいた近所の農家の方が
昨年急逝したので、田んぼの管理を町の農業公社に委託した。
この町でも、農家の高齢化や後継者不足で農業公社に委託
する人が年々増えているらしい。
農業公社から受託する人は大型の機械を導入し何十町歩もの
大規模化営農を行っている。
昔は過酷だった農業も機械化されてずいぶん楽になっている
ようだが、それでもお天気相手の大変な仕事に変わりはない。
わが家も、屋敷内の庭続きの田んぼだけは、自家用に近所の
人に頼んで今年もコシヒカリを植えた。
5月の始めに植え付けてから1にち1日表情を変え2ヶ月近く経つ今では、一面みどりの絨毯を敷き
詰めたように成長した。毎朝リビングから見える清々しい自然の恵みに感謝している。


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何かがおかしい 2005年9月10日

まだまだ残暑が厳しいけれど確実に秋の気配が感じられる。
稲穂が黄金色に色づき椋鳥や雀などの小鳥が木の実に群れている。
我が家の稲刈りも無事に済んだ。
昔では考えられない事だが、前日の夕方コンバインで刈り取って
翌日の昼には脱穀し袋詰めにして届けられた。
さすが1台数百万円はするという農業機械の威力である。
我が家のような零細な農家はとてもそのような機械を揃える事はできない。
今年の農協からの価格表によれば1俵11,900円だという。
我が家の収穫量に換算すると約270,000円になる。

春の田お越し・田植えから秋の刈り取りまでの外注代が約230000円、
肥料代が約50000円、これだけで単純に計算しても10,000円のマイナスである。
その他に種代や水利費や税金など諸々の経費がかかる。
私がやる肥料蒔きや暑い盛りの草刈り、水の管理などの労力はすべて趣味のボランティアなのだ。(笑)
このあたりの農家は米が中心だから、高価な機械類の支払いなどもありとても農業だけで生活は成り立たない。
だから若者はみなサラリーマンになるので、後継者不足は深刻である。
正直者が額に汗して一生懸命働いてもこの現実は変えられない。
何かがおかしい。

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たまには良いカモ! 2005年2月22日 (火)

久しぶりに都会に出た。
ラッシュアワーを過ぎているので電車内もホームもそれほど混まず余裕があった。
ゆっくりと階段を上り下りし、たまには都会の空気もいいなと思いながら
目的の有楽町駅前にある交通会館まで行った。
今日は交通会館のギャラリーで開催されている
知人のお母様の写真展を見に来たのである。
地階にあるギャラリーの入り口に「前田 和 遺作展」の案内板が出ていた。

前田さんは主人の友人のお母様で、主人が退職した折、暮れゆく夕日にどっしりと立つ
富士の写真を頂いた。
私はその写真を見て、これからの人生この富士のように何事にも動じないような人間でありたいと思った。
その前田 和さんが昨年急逝されたという。
そして生前に山、花、オーロラなど魅了されて撮っていた写真を
遺作展で発表してくれるという案内状をいただいていた。

会場には見事なオーロラの写真や、女性ならではと思わせる植物の写真などが展示されていてしばし、時をわすれて作品に見入ってしまった。
主人も見たいと言っていたのだが、このとき風邪ぎみだったので私一人が鑑賞することになったのが残念である。

写真を見たあとウインドウショッピングしながら銀座4丁目まで歩き
デパートを覗いたり食事をして帰路についた。

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干し芋 2005年1月30日(日)

寒に入り霜柱が花壇のビオラを押し上げている。
この時期 私の住むこのあたりは関東の空っ風と呼ばれる赤城おろしが北西から強く吹きつけて、乾燥したお天気になる。
主人の好物の干し芋を作るには好条件だ。
秋に収穫したサツマイモを蒸かして皮をむき3日程乾すと美味しく食べられる。
大きいものは5ミリほどにスライスし、小さなものはそのまま乾す。
捨ててしまうようなものでも、ちょっと手間をかけるとほのかな甘みで
繊維もたっぷりの健康食品ができあがる。
丸のまま乾した干し芋はスーパーなどで見ると値段も高く高級な干し芋なのだ。

先日は信州の親せきから干し柿と凍みどうふが沢山送られてきた。
親せきの心遣いに感謝するとともに、自然の恵みと先人の知恵に心が温かくなるのを覚えた。
最近では、家族そろって自然食品が大好きになったので お茶の時間に美味しく頂いている。

 (2キロもある紅あずま)

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故郷 8月27日(金)

お盆に10日遅れて金さんの田舎のお墓参りに出かけた。
高速道路が整備されて随分近くなったが、金さんに合わせて休み休み行くのでそれでも5時間はかかる。
今年、金さんの甥が別荘にと金さん達の生家の跡地にログハウスを建てたので、宿を心配しなくてよいのが嬉しい。
お墓参りをすませログハウスで一休みしていると、前の家のおばさんや金さんの幼なじみの姉妹が訪ねてきて
しばらくぶりの再会を喜びあった。
金さんと結婚して40年近く、私もすっかりこのふるさとが好きになり、
いつも暖かく迎えてくれる親戚や知人がいることに感謝している。

 帰り道金さんの記憶を頼りに棚田の風景を見ることにして
 山道に車を走らせた。
 半世紀も前の記憶は時間の流れの中で大きく変わっていて、
 道は舗装されてはいたが
 作り手のない田んぼや藪に覆われた畑が目立ち、
 先人達が耕して「天に至る」ごとく作物が青々と育っているであろう
 と私が予想していた風景は見あたらなかった。

 考えてみれば、あの頃働き盛りだった人たちも腰が曲がり
 あのような険しい道を通っての農作業はきついものがある。
 日本も高度成長と生活様式の変化などで豊かにはなったように見えるが、
 失われゆくものも多く寂しい思いがするのは私だけだろうか。

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お花見二態 4月3日(土)

☆ 権現堂桜堤(←クリックしてください。)

今年は桜の開花が例年にくらべて早いと言われている。
お天気は上々、週末の混雑を避けて近くの権現堂堤の桜を見に行った。
駐車場には観光バスも結構停まっていてワッペンを付けた団体の姿も見受けられ賑やかである。
屋台もたくさんでていて「あっ 屋台のニオイだ!」後ろの方で若い女の子の声がした。
春休み中の子供たちや家族ずれが花のしたでお弁当を食べたりバーベキューを楽しんだりしていた。
                                                
                                                   (2004.3.31)

☆ 満願寺の枝垂れ桜(←クリックしてください。)

今日は新聞の記事で見た行田市にある満願寺のしだれ桜を見に行ってきた。
本堂の裏にある樹齢600年の見事なしだれ桜である。中高年の夫婦や友達同士が静かに観桜している。
何か声高に話すことが憚れる高貴なたたずまいである。
このお寺は叔母の連れ合いが亡くなった折に墓地を求めて菩提寺としたところである。
何回か来たことはあるが、桜の季節ではなかったのでこんな素晴らしい桜があるとは知らなかった。
勤務あけの息子も「あまり興味ないんだよね」と言いながら私たちに付き合ってくれた。
何かの折りに「三人で花見に行ったっけね」と思い出してくれたら良いな!


                                                    (2004.4.2)

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お正月  2004年1月7日(水)

静かな正月を迎えた。
いつもは主人の兄姉や甥姪の家族が集まって賑やかな新年会を行っていたが、
今年は嫁いだ娘たち夫婦が訪ねて来ただけだった。
還暦を迎えたからと言って特段の変化があるわけではないが、
心新たに今までとは違った生き方をしてみようと思う。
今まではプラスの生き方。
これからは不要なものを減じていくマイナスの生き方をしようと思っている。
まず手始めに身体の贅肉を落とそう! 見栄を張るのを止めよう!自分の時間を大切にしよう!

小寒というのにぽかぽか暖かい。
屋敷内の神様に飾ったしめ縄を回収しようと回っていると、どこからか小鳥(モズ?)が飛んできて
私の後を付いてくる。
急いで取りに戻ったカメラを向けると
ポーズをとるように枝に止まった。
昨年古い母屋を取り壊したときも、
家の回りを片づけていると小鳥が出てきて
いつまでも離れなかった。
その時は「何やっているんだい!」と、
今は亡き父が小鳥になって
きいているような不思議な感じがした。

もう亡くなって40年近く経つのに、
父はわが家の行く末を心配しているのだろうか?
昨年懸案だった古い母屋の取り壊しをした。
跡地の整地の際に、宅地と農地の一部入れ替えを
するなど、わが家にとって平成の大事業をした。

今年はお正月にやってきて「ご苦労だったねえ!」と、
言ってくれたのかも知れないと思った。
私は少し芝居がかった調子で「こいつは春から縁起が良いわい!!」と声にだしながらシャッターを押した。


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大晦日 2003年12月31日(水)

今年も無事に終わる。つい先だってお正月が来たと思ったらもう大晦日。
来年は私の干支の申年である。1年が短いように感じるのは歳をとった証拠だろうか。
この2,3日新年を迎える準備に忙しかった。神棚や屋敷内に祀られている神々に奉るしめ縄を、
今年は我が家の田んぼの稲わらで作った。
不出来ではあるが松葉と小さなミカンを付けるとそれらしくなった。
丁度休みになった息子に「こういうのは男の人がやるものだからお父さんの代わりにあなたが飾ってよ」と言ったら、
「男女平等の世の中なんだから自分でやったら良いのに」と言いながら手際よく屋敷内を一周して飾ってくれた。
世の中がどんな風に変わって行くか分からないが、少しずつ祭祀の風習を伝え
やがて一家の主となる自覚を持たせたいと思っている。

今、遠くに除夜の鐘を聞きながら何年ぶりかで主人と日本酒の杯を合わせた。
一病息災に乾杯!


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餅つき騒動記 2003年12月23日(火)

今年は久しぶりに正月用の餅をつくことにした。
町内の精米屋さんで3升の餅米を買ってきた。
お供え餅を2組とのし餅を作ることにし、早速準備に取りかかる。
一臼目は何事もなく順調に滑り出した。
しばらくすると餅つき器が自動的に止まった。
嫌な予感がしたが、丁度良い具合に餅がつきあがっていた。
早速、お供え餅を作り残りはお汁粉とからみ餅(大根おろしとごま)にして家族で食べた。
息子は「このしるこは甘すぎる!」といいながらおかわりをし、
主人は「この辛みもちはごまが多すぎる!」といいながら「もう辛みもちはないの?」とがっかりしていた。

二臼目をつこうとしたら、電源は入るのに餅つき機が何としても動かない。
餅米は三臼目まで蒸かしてしまったので、さあ困った。どうしよう。
ちょっと迷ったが、急遽餅つき機を買いにとなりまちのホームセンターに車を走らせた。
思いがけないハプニングでバタバタしたが、新しい餅つき機を使い
無事に全部つくことが出来た。
20年以上も前の機械なので寿命だったのかもしれない。

子供も毎年楽しみにしていて「今日はお餅つきだよね」と年末のイベントになっていた。
子供たちは勿論母も私も蒸かしたての餅米に醤油ともみ海苔をかけて食べるのが好きだった。
今年はちょっと贅沢に「いくら」をのせて食べた。


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日々好日  2003年12月9日(火)

時間になると催促の鳴き声で騒がしい。
日課となった犬の散歩もこれからの季節はおっくうになる。
散歩の道すがら3匹の犬それぞれに性格の違いが出て面白い。
嗅覚の鋭いアインはもぐらの穴を掘り返し
地中のもぐらを捕まえるのが得意だ。
長老格のルーは散歩もただひたすら我が道を行くし、
シェルティーのベルはかまって欲しくて
私のエプロンの端を引っ張ったり、手でちょかいを出したり
なかなか前に進まない。

今日は北風が冷たい。遠く東に筑波山、
北から西に日光連山・赤城山と夕暮れに霞んで見える。
今日も一日無事に終わる。

冬枯れ野 遙かに霞む赤城山 嫁ぎし吾子の健やかなれと

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畑仕事も終盤  2003年11月22日(土)

昨日の暖かさとはうらはらに、北風に枯れ葉が舞い散りあちらこちらに吹き溜まるっている。
いよいよ冬の到来。
主人はファンヒーターをガンガン焚きながら膝掛けを掛け「今日は寒いねえ」と
苦手な寒さを恨めしく思っているようだ
私は秋植えの赤いジャガイモ(アンデスレッド)を
試し堀することにした。

ウインドブレーカーに頬かぶりと言う
怪しげなスタイルで畑に出かけた。
まだ小粒であるが、10個ほど掘り出し、
早速ほうれん草とバターでソテーにして夕食の1品とした。
普段何かと一言ある息子も何も言わず食べていたから
美味しかったに違いない。
家庭菜園も当分冬眠状態。
霜が降りて甘くなるネギや白菜や大根を大切に食べよう。

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スローライフ  2003年8月30日(土)

今年の夏は雨が多く日照不足である。米の作柄も10年ぶりの不作と報じられている。
専業主婦となって5ヶ月、家庭菜園でナス・キュウリ・トマトやジャガイモ・サツマイモなどの野菜根菜を作っている。
30アールの田んぼには近所の農家の人に頼んでコシヒカリを植えてもらった。
草むしりや水やりの成果が今現れて毎日食べきれないほどの夏野菜の収穫に感激している。
食の安全が問題となっているが、無農薬でこれほど作り手の明確なものはないと思いながら・・・。
お米も経済的には買った方が有利なことはわかっているが、先祖から引き継いだ田んぼがあるのだから、
これからも、それを荒らさないためにも作ろうと思っている。




 春から始めた太極拳はなかなか覚えられないが、
 たくさんのお友達ができて楽しく続けている。
 ゆったりとした動作は中高年にはぴったりだし、
 準備運動のストレッチは凝り固まった筋肉をほぐすのに最適である。
 早く先生のように力強く華麗に舞いたいものである。

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そのための検診 2003年7月19日(土)

毎年職場で人間ドックを受けていたが、今年は退職したので町の集団検診を受けることにした。
5月の末に一通り受診し「もうそろそろ結果通知がくる頃かな」と待っていると
保健センターの人(保健師さん?)が結果を持って訪ねてきた。
「胃の精密検査の要あり」とのことである。
「自覚症状は有りますか? かかりつけの病院は有りますか? 早いほうがいいですね。
結果を教えてください・・」とそそくさと帰っていった。

4月から専業主婦になった私は、時間の余裕とストレスからの解放と快眠・快食とで
2キロも太ってしまっていたので、正直、晴天の霹靂(へきれき)と言ったところだった。
かかりつけの病院はないけれども、主人の高血圧治療で通っている病院に予約をして
内視鏡検査を受けることにした。
つい10日ほど前に主人か受けた内視鏡検査に付き添いで行ったばかりである。

内科の担当医は若い男の先生だった。
「いままで異常なしだったのでちょっとびっくりしているんです」と言うと
「そのための検診ですから。おそらく大したことは無いと思いますよ。でも早いほうがいいですよね」と
てきぱきと内視鏡の日時を明後日に指示して
「その時私も立ち会ってその場で説明します」と言うことだった。

検診当日(7月19日(土))、指定より1時間早く着いて受け付けを済ませ待っていると10分ほどで呼ばれた。
ついこの間主人がお世話になった看護婦さんが私の担当になった。
いろいろ説明を受けて喉の麻酔の処置をしてもらう。
「モニターに映りますから見てください。滅多に見れませんからね。力を抜いて楽にしていて下さい」
検診台に乗ったら「まな板の鯉」の気持ちになった。
モニターに私の胃の内部が映し出された。
思わず「あれは何ですか」と聞いたら
「しゃべらないで」と注意されてしまった。
結果は異常なし。

この年で生まれて初めての経験をしてしまった。

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3犬3様 2003年7月6日(日)

夏の間、毎月3匹の犬たちにフィラリアの薬を飲ませている。
一番の年長犬ルーは40日も入院した経験からか薬を飲むのが上手だ。
薬を見ると自分から正座?して私の手のひらからペロリと飲み込む。
シェルティ犬のベルは、飲んだ振りをして後ろ向きにプイと吐き出してしまう。
一番やんちゃなアインは飲む気など更々なく、口を真一文字に結んで私を手こずらせる。
私は一計を案じて、錠剤をアインの前に転がし「ダメダメとらないで」と急いで拾い上げる。
それを2,3回繰り返すと、じっと私の手元を見ていたアインは転がすと同時にパクとくわえた。
しめしめ大成功!
「ダメダメ返して」と更に錠剤を取ろうとするとアインは得意になって「返すものか」と首を右に左に振る。
そのうちに薬がアインの口の中で溶けてしまった。

私は子供の頃躰が弱く風邪をよく引いたし、 扁桃腺も腫らした。
いつも40度近い熱を出してうなされて怖かった。
そんな時、解熱剤なのか白い薬包紙に入った苦い粉薬を祖母に飲まされた。
祖母は薬を飲ませるのが上手だった。
時間になると、必ず「和代は薬を飲むのが上手だねえ」と言って水を持ってきた。
そばに誰か居ると「見ててごらん 和代は薬を飲むのが上手いんだよ!」といった。
私は得意になって飲んで見せた。

得意そうにペロリペロリと口の周りを舌なめずりしているアインに
遠い子供の頃を思い出した。


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