・・・1999年・・・
1999年の年末(29,30,31)家族揃って伊豆下田に旅行した。
3人の子供たちと家族そろっての旅行は12年ぶりである。
12月29日は快晴、マンションで長女夫婦と埼玉の家から長男と二人オデッセイに乗ってくる妻を待つ。
首都高も東名も思ったよりすいている。富士山がまぶしかった。
沼津で東名を降りて国道を少し戻り天城峠に向かう。
途中「イノシシ村」に寄ってお昼を食べた。
「イノシシ村」にも車椅子で入れるトイレがあったのが嬉しかった。
天城峠を越えるとループ橋がありグルグル回るようにして一気に降りていく。
昔の踊り子たちが苦労して峠を越えたのが思い出される。
ループ橋を過ぎて川沿いの道を河津町まで降りてくると海が見えた。
太平洋である。 沖合に大島が霞んで見えた。
(東名から富士を見る)
何年かぶりの下田の街は私の目には変わりないように思えた。
明るい陽ざし受けて歴史が静かに流れている。
私も1回目の脳出血で倒れた後、家族旅行のために会員制のクラブの会員になっていたが
何年も利用していなかったので下田の海が見たかった。
ホテルに着くと息子が言った。
「あれ! なんだか小さくなったようだなあ?」
無理もない。この前に来たときはまだ小学生だったのだから。
ホテルは変わらないけれど自分が大きくなって相対的に相手が小さくなった
ように感じたのだろう。
(下田のホテル=絵はがきより)
部屋は7Fだった。
車椅子のまま私が利用できるように妻がセミスイートルームを予約してくれた部屋である。
優に12畳はある洋間にベット2つとテーブル、それに8畳(?)の和室がついている。
次女と長男が和室に、洋間を私たちがつかうことにした。
セミスイートルームの隣に長女夫婦の部屋を予約していた。
前日夜勤の次女が伊豆急の“踊り子号”で少し遅れてホテルに着いた。
疲れているようだった。
(ホテルの部屋で妻と)
部屋の風呂は檜風呂で冬でも手触りが暖かいのが気に入ったが、このホテルはバリアフリーのホテルではなく
トイレには車椅子で入れないために妻や次女に手を引いてもらわなければならなかった。
これから作るリゾートホテルは、例え一部屋でもバリアフリーの部屋と、ホテル内の施設のバリアフリー化に努めてほしいと思った。
妻と子供達は大ブロ、洞窟風呂などで楽しんだようだ。
私は妻と図書室やトレイニングルームへ行ってみた。
食事は和食と洋食があり1日目は和食、2日目は洋食にした。
どちらも料理は美味しかった。
朝食は和食、洋食の料理から自分で選べるバイキング方式でこれも結構美味しい。
(ホテルで長女夫婦、次女と)
夕方部屋から見る海はおだやかだった。
あれは利島だろうか?遠くに伊豆七島の島影が見える。
30日はフリーの日にしていた。
長女夫婦は下田の市内へ
私たち夫婦と次女と息子は石廊崎のジャングルパークに行ってみた。
伊豆半島の最南端にる石廊崎のジャングルパークは車椅子でも途中まで行けたが
寒かったので妻と二人引き返して入口近くの土産物屋 のおばあさんの所で甘酒を
飲みながら待っていた。
31日は、天気も良いし道路もあまり混んでいないので途中まで東海岸を行き伊豆スカイラインを通り、箱根にでて帰ることになった。
海を見ながら快調に走っていたが熱川を過ぎると渋滞してきた。
伊豆スカイラインに入った頃から後部座席の長女が気持ちが悪いと言いだし、真ん中の席の次女と助手席の長男が長女夫婦に席を
替わってあげた。少し休んで十国峠を通り芦ノ湖畔から箱根駅伝のコースを下ってくると、
カーブの多いコースで今度は次女が気持ち悪くなった。寝不足と温泉に入りすぎもあったらしい。
ゆっくりと小田原に出て厚木街道から東名に入りサービスエリアで休憩しながら帰った。
結局東京のマンション着いたのは6時頃であった。
1999年の年末家族旅行、楽しいことも苦しいことも経験する旅行になった。
いろいろ反省することも多い。
しかし、子供達と一緒の旅行がこれで最後かも知れないと思うと、ただ、楽しいだけの旅行より良かったのかも知れない。
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