九年ぶりの電車!・・・さいたま新都心へ・・・
  


2003. 4. 9(水)

栗橋駅で

実に九年ぶりに電車に乗った。
金さんが九年前に二回目の脳出血で倒れ車椅子生活になってから初めてである。
これまでも、自宅と東京のマンションや病院の間を数え切れないほど往復していたが、いつも自動車だった。

春になり暖かくなるにつれて、「電車に乗りたい」という金さんの思いが心に沸々と湧きあがってきた。
平成12年に栗橋駅の駅舎が建て替えられた時に、妻も、「車椅子の視線から」の「妻の部屋」に
「春、暖かくなったら、この新しい駅からもう一度電車に乗せてあげようと思っている。」と書いているが、
今年三月で勤めを辞めて自由人になったので、今年こそ実現させようと思ったという。
夫婦二人の思いが一致して、金さんの「九年ぶりの電車!」が実現することになった。

実はもう一つ隠れた思いがあった。
いつも、まさよんはじめネットの友人に助けてもらっている
「金さんとまさよんのバリアフリー見聞録」に、金さんの電車での小旅行も載せたいという、
虫の良い考えもあった。

四月九日は朝から晴れている。
思い立ったが吉日と、妻と相談してさいたま新都心まで出かけることにした。
九時半過ぎに自動車で栗橋駅西口に着いた。
車を降りると、お天気がいいのに風が吹いているので寒い。
駅前の駐車場に車をとめてきた妻を待ってエレベーターに乗り、駅の改札口に向かう。

栗橋駅が古い木造平屋の駅舎から橋上化されたのが平成12年の暮れである。
ちょうど「交通バリアフリー法」が施行された年に整備されたので、駅舎がバリアフリー化されて見違えるようにきれいな駅になっていた。
東側の栗橋町側だけだった駅の乗降口も、駅が橋上化されて、西側の大利根町の住民にも使いやすくなっている。

三十数年前に、金さんが大利根町の町民になる前から、栗橋駅への西口設置は大利根町町民の悲願だったらしい。
その西口の設置が、交通バリアフリー法の波に乗ってやっと実現しているので、感慨も一塩であった。

電車の車内で

栗橋駅の改札口を入ってから、新しい駅舎にできた障害者用のトイレに寄った。
さいたま新都心駅まで三十分位なのだが、久しぶりの電車なので多少不安もある。
心を落ち着けてからエレベーターでホームに降りた。
車掌さんに車椅子がわかるように、最後部の車両の停車位置で待っていると、程なく電車が来た。
ドアが開くと、妻が手際よく車椅子を押して電車に乗り込んだ。
ホームと電車の段差は思ったほどなく、車椅子の前輪を少し持ち上げるだけで乗ることができたが、
帰りにさいたま新都心駅の職員に聞いてみると、まだ段差がある車両も使っているという。
そういう電車だったらスロープが必要だったので、後で聞いてついていたと思った。

乗ってから車両の中を見渡すと、一番前が片側だけ手すりがついて車椅子マークついている。
妻が車椅子を押してそこまで移動してくれた。
久しぶりの電車のためだろうか? 
電車は思っていた以上に揺れた。
車椅子に乗っていても、
電車の手すりにつかまっていないと心細い気がした。
久喜駅を過ぎても片側の座席が空いているので、
車椅子から移って座席に腰掛けてみた。
妻も隣に座った。 車椅子と違い座席は落ち着いて座れた。
蓮田駅あたりを過ぎてだんだん車内が込んできた。

座席に座って見る車内の様子が九年前と何か変わっている。
どこが変わっているか直ぐにわかった。
近くに立っている若い人たちが六人(うち男性二人)、
全員片手に携帯電話を持って黙々と指を動かしている。
メールのチェックだろうか?それにしても異様な光景だ!
ヘッドホンで何かを聴きながら携帯電話で遊んでいる(?)若者も二人いる。
花の春だというのに、窓から外の満開の桜を見ている人は誰もいない。

この九年間で、パソコン、インターネット、携帯電話などIT(インフォメーション・テクノロジー)が急速に進化した。
しかし、こうしたハードの進化だけで、本当に進化したといえるのだろうか?
機械は進化したけれど、代わりに人間にとってそれ以上に大切な何かが後退しているような気がした。

そんなことを考えているうちに、電車はさいたま新都心駅に止まった。

さいたま新都心で

さいたま新都心駅に着いたのが十時四十分頃である。ホームからエレベーターで二階に上ると改札口があった。
改札口を出る前に障害者用のトイレに寄ってみる。
バリアフリー見聞録のことがいつも念頭にあるので、金さんは初めての場所ではなるべくトイレに寄るようにしている。
そこのトイレを見れば、そこがバリアフリーについてどう取り組んでいるか、およそのことがわかるからである。

改札口を出たところの通路(歩行者デッキ)正面(北側)にある総合案内所に寄った。
さいたま新都心の「ガイドマップ」と「レストラン&ショップとアミューズメントガイド」をもらった。
ガイドでは「レストラン&ショップとアミューズメントガイド」なんてしゃれたカタカナ語を使っているが、なんのことはない、
開いてみると「スーパーアリーナ」というかわった建物と「けやきひろば」内にある施設の概要とレストランやお店のことなどを
日本語で説明したリーフレット(小冊子)だった。
最近の日本では、「国際化」をはき違えているのか(?)外国語を日本語に翻訳しないカタカナ語が氾濫している。
カタカナ語は外国語だったものが国語の中に取り入れられてきた外来語とは明らかに違う。
外国語の語感から受け取るイメージをかっこいいと誤解して、日本語に翻訳する努力を怠り安易にカタカナ語を氾濫させるのは、
わが国の文化を衰退させていくようで悲しい。
日本がこれから主体性を持った国であるためにも、安易なカタカナ語の使用は考えものである。

ビル風が歩行者デッキでは強く吹いている。帽子を飛ばされないように頭を押さえながら歩行者デッキを行くと
明治生命のランドアクシスタワー(意味不明!)の二階にある
コーヒーを飲むところが目に入った。
広い空間にガラスのテーブルと椅子が置いてある。
一見無機質な感じの店(?)だが、空いていたので入ってみることにした。
若いウェートレスが二人いた。
コーヒーを注文すると、レギュラーの他に、
まろやかな味と酸味のある味の二種類おいてあるという。
金さんが酸味のある味を、妻がまろやかな味を注文した。
家でのんびりと飲むコーヒーも美味しいが、
たまにこういう所で飲むコーヒーは一段と美味しい。

一口妻の「まろやかな味」も、もらって飲んでみた。
なるほどまろやかな味である。
だが・・・自分には少し酸味のある味の方が合うようだ。

    (妻も「美味しい」とコーヒーを飲む。)

コーヒータイムが終わり、時間が十一時を回っていたので再び歩行者デッキに出た。
そして、近くにある「さいたまスーパーアリーナ」と「けやきひろば」には寄らないで南に曲がった。
先に「ラフレさいたま(簡易保険総合健康増進センター)」に行ってみるためである。
「ラフレさいたま」はかんぽの施設であり、宿泊もできるので「将来利用することもあるかも知れない!」と
見ておきたいという妻の提案に同意したのである。

歩行者デッキを、車椅子でゆっくりと合同庁舎1号館、2号館の前を通り「ラフレさいたま」に向かった。
ビル風は相変わらず強い。歩行者デッキには約3メートル幅の屋根がついているが、
これでは雨の日の移動は辛いだろうと思った。

「ラフレさいたま」に行くと中に和食、洋食、中華といろいろな店がある。
もう11時半に近いので込まないうちに食事を済ませることにした。
三階の中華レストラン「彩賓楼(さいひんろう)」の前で、開店に少し時間があるので、入り口に出ているメニューを見ていると、
ちょうどお掃除のおばさんが通りかかって「ここのは美味しいですよ。」と声をかけてくれた。
おばさんがいうのだからここにしようと入ってみる。
コース料理、セット料理などいろいろあったが、「おすすめ週替わりセット」を頼んだ。
妻がAランチの芝エビの衣揚げフルーツマヨネーズソース、
金さんがCランチの牛バラ肉の柔らか醤油煮込みと、海鮮ポールの貝柱あんかけである。
中は11:30分の開店直後に入ったためか、まだお客は少なかった。
視力障害のある人と介護の人のグループ(4,5人)と婦人(60代、70代)の3,4人客が二組と男性の客が一組いただけだった。
料理はどちらも美味しくて、二人とも満足した。

昼食が済んだので、「ラフレさいたま」の中を車椅子で見てから、歩行者デッキをスーパーアリーナの方向へ戻った。
途中で合同庁舎の西側にある「ホテルブリランテ武蔵野」に寄ってみた。
ホテルのフロアへはスロープで降りた。
    
ホテルでトイレを借りた。
駅のトイレもいいが、ホテルのトイレはどこへ行っても間違いがない。広くてきれいだし使っても気持ちが良い。
ホテルのトイレは妻もお気に入りだ。

さいたま新都心の一階には現在五か所に公衆トイレが設置されているが、歩行者デッキのある二階には
公衆トイレがけやきひろばに一カ所だけである。
必要な人は、合同庁舎やホテルのトイレを利用できるので、それでも良いのかも知れない。

感動の小旅行だった!

疲れないうちに早めに帰ることにして、さいたま新都心駅の改札口で切符をだすと
係員が「そちらでちょっと待ってください。」といった。
「何だろう!」と待っていると
少し経って若い職員が折りたたみのスロープを持って現れた。
「電車にスロープを架けてくれるらしい。」職員と一緒にエレベーターでホームに降りて、
朝の電車とは逆に一番前の車両の停車位置に向かう。
電車がホームに入ってくると、
職員がホームと電車の段差を持ってきたスロープでカバーしてくれた。

こちらで頼んだのではないのに、車椅子の人のために親切にしてくれる!
さすがに「バリアフリー都市宣言」をしているさいたま新都心駅の職員は違うと感心した。
嬉しいことはそれだけで終わりではなかった。
栗橋駅に着くと、驚いたことにホームに職員が二人スロープを持って待っていてくれた。
車椅子で職員が渡してくれたスロープを使ってホームに降りる。
職員にお礼を言いながら胸のネームプレートをみると、一人は駅長さんだった。
きっとさいたま新都心駅から連絡してくれたのだろう。

「九年ぶりの電車」は、金さん夫婦に大きな感動を残してくれて無事終了した。
自信もついたし、また、さいたま新都心にも行ってみたいし、
そのうちに上野駅やその先まで乗ってみようと思った。


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