故郷再発見の旅

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2006年10月2,3,4日と金さん&和さんで信州にドライブ旅行をしてきました。家を出るときに少し降っていた雨が上信越自動車道に入るとだんだん激しくなってきて、群馬県と長野県の県境にあるトンネルを越える頃には、どしゃ降りになりました。
高速道路なのに速度制限は時速50キロです。しかし、50キロで走る自動車はありません。中には100キロ以上で追い抜いて行く無謀な自動車もあります。最近中央高速道で起きた何台もの追突事故は、そういう状況で起きたのでしょう。
和さんは悪天候なので事故を起こしたり、巻き込まれないように、車間距離を十分に取って運転していました。
幸い上田を走る頃には雨が止んでいました。
信州新町にある甥のログハウスに着いて一安心です。

少し疲れていたのでしばらくベッドで休んでから親戚の家に挨拶に行きました。どの家も立派な木造建築の作りで、車椅子の金さんが入るのは難しいので、和さんだけが入って挨拶しました。
いつもそうなのですが、自動車で待っている金さんの所に、親戚のおばあちゃんが家から出てきてくれるのです。年々歳を取って老いているおばあちゃんと話しながら「自分はどう見えるのだろう?」と考えていました。

夕方暗くなる頃になると、金さん&和さんの息子が遅れて到着しました。夜勤明けだったので埼玉の家を昼過ぎに出たようです。
「起きられなかったら行くの止めるぞ」と言っていたので「五分五分かな?」と金さん&和さんで話していたのですが良く来てくれたと思います。夕食は信州新町の特性のタレに漬込んだジンギスカンを買ってきていたので、ログハウスの外で和さんが焼いてくれました。親戚からもらったおやきと漬け物もも美味しくいただきました。


次の3日は朝から晴れて墓参には絶好です。
9時頃家を出て墓地のある菩提寺に向かいました。
金さんの実家の墓地は急な斜面の中腹ににあるので
車椅子の金さんはそこまで上れません。
急な階段を和さんと息子だけで墓地に上り、
金さんは墓地が見上げられるところに自動車を止めてくれたので
そこでお参りしました。
和さんが息子に「お前のルーツは半分ここにあるんだよ」と教えていました。
子供の頃は知らなかったのですが、菩提寺の興禅寺は信州の名刹であり南朝にゆかりの深い寺であると言います。
再建された本堂の入り口に菊の紋章があるので、前に住職にたずねたことがあります。そのときに住職が教えてくれました。文政4年(1821年)嵯峨御所より「神峯名山興禅寺」の額を賜り、菊の紋の使用を許されているのだそうです。
修復されている山門(二階が鐘つき堂で一階に立派な仁王さまがいる)と馬場信房(※1)の記念碑を和さんにデジカメで撮してもらいました。



山門 ※1 馬場信房の記念碑

興禅寺史(平成9年発行)によると

馬場信房略歴
牧野島城について



※2 関連サイト

馬場信房:http://homepage2.nifty.com/inutomononohu/newpage(babanobuhusa2).htm
牧野島城:http://siro.parfait.ne.jp/oumi_castle/takoku/nagano/makinosima.htm
武田二十四将:http://www.geocities.jp/yokopy0208/takedanijuuyon.htm




墓参りが住むと「用事があるので先に埼玉の家に帰る」という息子と別れて、金さん&和さんの二人は、信州新町の石津を経由し山間の道を通って長野市大岡にドライブしました。 大岡は今でこそ長野市大岡ですが、2005年1月1日に長野市に合併するまで、更級郡大岡村でした。

石津や大岡の棚田には、稲刈りが終わった田圃に天日干しする「はぜ」が並んでいました。田圃ではぜかけしている若い女性の姿も見られました。
十数年前まで埼玉県でも稲刈りは機械でなく人間がやっていましたが、いま埼玉県では、稲刈りと脱穀を同時に行うコンバインで刈り取るので、写真のような「はぜかけ」はほとんど見みられなくなりました。

信州新町に来る途中、信州の佐久などの田圃でも「はぜかけ」が多く見られたので、「米作りの根本的なところが、埼玉県の農家と長野県の農家で違うのではないか?」という思いを強く持ちました。

「少子化などで農業の跡継ぎがいない」と言う現象は埼玉県の農家と長野県の農家でそんなに違うとは思われないからです。田圃が平野にある埼玉県と棚田の多い長野県では、農業用の機械も使えないところがあるのは理解できます。ただ、農業の機械化が進んで何か機械屋への支払いのために汗しているのではないか?と思われるような埼玉県の農家を見ているので、長野県の米作りに感心すると同時にこれがいつまで続けられるか?日本の農業の行く末がいっそう心配になりました。

大岡のアルプス展望公園で
モモ(cafeterrace momo)」という店によりました。
そこで美味しいパンとコーヒーをいただきました。
モモでは、たかきび入りのカンパーニュや
小麦全粒の(スタンダード)など、
地元で評判どおり美味しいパンが食べられます。

残念だったのは前日の雨の影響か?
晴れていたのにアルプス展望公園でアルプスが
見られなかったことです。




運が良いとこんな北アルプスが見られるそうです。↓

画像は、cafeterrace momoのホームページからお借りしました。


アルプス展望公園の「モモ(cafeterrace momo)」で休憩した後、長野県の無形文化財に指定されている芦の尻道祖神に行ってみました。シニアの団体がバスで見学に来ていました。

「人々は集落(むら)に悪霊が入り込まないようにと心を込めて造り、無病息災を、また豊作を祈る。
十五歳になった若者が道祖神に一升供えて若い衆の仲間入りをするのも、この時である。供えたお神酒がくばられて直会(なおらい)が行われる。
一年間の守護役を務めた神面は、夜のどんど焼きの火とともに自然にかえる。
石造道祖神の密集地帯の中で、東北や新潟に分布の多い藁製道祖神を思わせる存在は注目すべき奇祭といえる。」・・・旧大岡村ホームページより引用・・・

旧大岡村ホームページ:http://www.city.nagano.nagano.jp/archives/oooka/index01.htm

芦ノ尻の道祖神:http://www.janis.or.jp/users/dosozin/

芦ノ尻の道祖神のホームページで、1998年2月7日長野冬季オリンピック大会の開会式に芦ノ尻道祖神保存会の労作による四体八面の藁製神面装飾道祖神が登場し、劇団四季、小・中学生の雪ん子らと共に保存会の代表十二人が出演したということを知りました。

道祖神を見たあと、自動車で15分ほど下りて、国道19号線沿いにある道の駅大岡特産センターに寄りました。ここでトイレ休憩です。全国に「道の駅」があるので、車椅子生活の金さんも旅行で便利になりました。大岡特産センターでは、地元で生産したそば粉を使用して手打ちしたざるそばがおすすめだというので、金さん&和さんでいただいた。美味しかったです。
ここから、信州新町のログハウスまで30分もかかりません。
途中で一軒親戚により、3時前にログハウスに帰りました。




熟年夫婦の田園生活 車椅子の視線から