2 小布施の岩松院と信州の蕎麦


8月20日(土曜日)晴

6人で信州新町美術館・有島生馬記念館・化石博物館を見た後、次女夫婦は白馬のオリンピックのジャンプ台を見に、長女夫婦と金さん&和さんは小布施に葛飾北斎の天井絵を見に行くことにした。
小布施は、信州新町から長野市内を抜けて信濃川を渡り、須坂から信州中野方面に行く途中の街である。


長野市から小布施に向かう途中でお蕎麦やさんを見付けた。「手打ちそば処 小杉」である。スロープがあるので車椅子でも入れそうである。
店内に入るとお座敷とカウンター席があり、「カウンター席がいいですか?」と案内されたカウンター席で、常連らしい車椅子の若い女性が新聞を読んでいた。
メニューを見て、四人は黒っぽいオーソドックな「十割そば天ざる」と白い「雪そば天ざる」を頼んだ。
「雪そば」は、そばの芯だけを使った白い御前そばで昔は殿さまだけが食べることができたのだという。白い御前そばを殿さまが食べたとすれば、オーソドックなそばは家来たちが食べたのであろう。
店主によると、この店では契約栽培のそばの実を使って店の石臼で挽いているという。つなぎを使わないのでそばに独特の風味と甘みが出るそうである。つゆは昆布と鰹のダシがきいているという。
なるほど、食べると腰があり風味もあって美味しい。
小布施にドライブして思わぬ拾い物をしたと思った。

信州名物の蕎麦で腹ごしらえのあとはいよいよ葛飾北斎の天井絵の見学である。のどかな畑の中の道をしばらく行くと、雁田山(かりだやま)の緑を背にした岩松院に着いた。 門前にある茶店で、和さんが念のために聞いてくると「車椅子で境内に入るには仁王門の左手のなだらかな坂を上るといい」という。ただし、本堂の入り口までで、上には上がれないらしい。
十数年前に、金さん&和さんで一度本堂の天井絵「八方睨み鳳凰図」を見ている。車椅子で見られないならば仕方がないと金さんは入り口の近くにある木陰で3人が見てくるのを待った。

しばらく待っていると、砂利の上を金さんの方にゆっくり歩いてくるキリギリスを見付けた。カメラを向けても構わずに近づいてくる。そのうちにとうとう車椅子に座っている金さんのズボンの裾から上に歩き始めた。
「なんというキリギリスだろう!」とあきれていると、今度は金さんの手に持った岩松院の案内書の上に歩いてきた。
キリギリスが、「いらっしゃいませ ここで誰をまっているのですか?」とでも言っているようだった。



3人が見て出てきたので、「どうだった?」と天井絵のことを聞くと、和さんが「前のように寝転んでじっくり見られなかったよ」と言った。
それはおかしい?
「最高の鑑賞法は寝て見る」と観光情報の岩松院のホームページにも書いてあるではないか。(写真は観光情報の岩松院のホームページより引用)
床に寝転んでじっくり鑑賞できるのがこの天井画本来の鑑賞法だろう。
その最高の鑑賞法を、いつだれが出来なくしたのか?小布施の町民や長野県民だけでなく日本国民の損失であることに早く気がついて改めて欲しい。

埼玉の家に帰ってから岩松院の公式ホームページを見ると、
「これまでの観賞方法を見直し、天井画保護の観点より お静かに座って観賞いただくよう お願いいたしております」と出ていた。
しかし、「天井画保護の観点」とはいったい何だろう。寝てみるより座って見る方が天井画の保護になるというのがわからない。合理的で納得できる説明があるなら、それを示して欲しいものだ。
天井画は寝てみるよりも座って見る方が疲れる。
勘ぐれば見学者に「早く帰ってくれ」というメッセージが「天井画保護の観点」を装った真意かも知れない。
その意図が「鑑賞」でなく「観賞」と公式ホームページに書いてあることからも想像できる。

はたして作者の葛飾北斎はあの世からこの現状をどう見ているだろうか?



夕方、六時頃に岩松院から戻ると、ログハウスの駐車場に知らない自動車が止まっている。金さん&和さんのオデッセイが着くと中から女性が下りてきた。
よく見ると金さんの同級生の勝子さんである。
「これから伊切に迎えに行ってくるわ」と勝子さんが言い残して自動車を発車させた。
金さんが自動車から車椅子に乗り換えてログハウスに入ると一息つく間もなく来客である。
ご近所のばあちゃんとかあちゃんが連れだってやってきた。
続いて金さんの一学年下の京子ちゃんがやってきた。京子ちゃんはコピ−ライタ−で長野で活躍している。京子ちゃんにはメールで帰郷することを伝えていたので、週末長野から信州新町の実家に帰ってきたので会いに来てくれたのである。
三人と話しをしていると勝子さんが妹とばあちゃんと一緒にやってきたので、お客さんが入れ替わった。勝子さんと一回り離れているという妹とは初対面である。
八十八歳になるというばあちゃんは元気そうだった。

ちょっくら裏の畑に行っている間に来てくれたそうで 悪かったなあ
お茶もあげなんで おらあもーらしくて

と言って絶句した。

「ばあちゃん いいんだよう!」と金さんがばあちゃんの手をしっかり握る。
ばあちゃんが自分で育てて漬けた白瓜の奈良漬けをひと樽土産にと持ってきてくれた。また勝子さんが信州新町名物のおやきを「皆さんで食べて」と持ってきてくれた。

三人とつもる話しに花を咲かせた。
勝子さんの妹は看護師になっていてJA長野厚生連新町病院に勤めているという。金さんの『脳出血から二度生還して』も読んだらしい。
敬くんのログハウスができたおかげで、金さんの故郷での交流範囲が格段に広がった。今までのように近所の家の側に自動車をとめて、家の人に出てきてもらって短時間話すスタイルから、ログハウスに来てもらいお茶を飲みながら話しができるようになった。これで帰省の意味がまるで違うようになった。嬉しいことである。

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熟年夫婦の田園生活 車椅子の視線から