目次 | 1 ログハウス、墓参、親せき回り 2 小布施の岩松院と信州の蕎麦 3 ふるさとは遠きにありて思うもの・・・ 4 故郷はいつも暖かい (和さん) 5 白馬オリンピックジャンプ台(次女夫婦) |
8月19日(金曜日)晴時々曇り |
横浜に住む長女夫婦と桐生に住む次女夫婦、それに埼玉に住む金さん夫婦が加わり、6人で金さんの故郷長野県信州新町に甥の敬くんが建てたログハウスに泊まった。長女と次女が金さんの故郷に行くのは20年ぶりぐらいになる。「敬くんのログハウスを見たい」という娘たちのたっての希望で、敬くんの都合と3世帯の都合を調整して8月19日から21日まで3日間ログハウスを借りることにした。 幸運なことに、夏休みを取っている敬くん&みっちょマンが8月19日までログハウスに滞在するというので、娘たちに会ってもらうことができた。 19日、長野まで長女夫婦はJRの長野新幹線で、他は自動車で行き、6人は長野駅前にあるホテルメトロポリタン長野で落ち合った。昼食を済ませてから、国道19号線で信州新町の山間部にあるログハウスに向かった。娘たちは、古い家を知っているだけに、それがいつの間にか素敵なログハウスに代わっているので驚いたらしい。 ログハウスでは、敬くん&みっちょマンが待っていた。 挨拶とそれぞれの紹介をすましてから、敬くんとみっちょマンを囲んで話しが弾んだ。みっちょマンと娘たちがまるで旧知の間柄のようにうち解けて話しているので嬉しかった。 敬くん&みっちょマンが大阪に帰る前に、6人で金さんの実家中島家の菩提寺である興禅寺に墓参りに行った。中島家の墓は、寺の裏手の山を切り開いたところにあるので、かなり急な斜面にある石段を上らなければならない。故郷に行く前に「若い者が一緒の今回こそチャンス」と考えていたが、それは金さんの甘い考えだった。石段が思っていたよりも急坂でしかも四,五十段ある。「無理をして上ることを両親も望まないだろう」と勝手に決めて、山裾に止めている自動車の窓を開けて手を合わせた。 ログハウスで敬くん&みっちょマンと記念に写真を撮り大阪に送り出す。 5時を回っていたので、着くのは真夜中になるだろう。二人が若いからできるのだが、鳥取に行ったり長野に来たりと過労気味ではないかと心配し無事に着くことを願う。 夕方潤子ちゃん(金さんの一学年上の先輩)が家で採れた野菜を持ってきてくれた。中に珍しいモロヘイヤが入っていた。埼玉に帰ってから和さんが調理してくれたモロヘイヤは、栄養価が高いというだけあってご飯に乗せて食べるとなかなかいける。美味しくて久しぶりにおかわりをしてしまった。 金さんが疲れていたので、ベッドで一休みしてから、6人でログハウスの庭に出てバーベキューを楽しんだ。と言っても、金さんは車椅子なのでログハウスの回廊の上での参加である。地元信州新町のJAで買ってきたジンギスカンと野菜やきのこをたくさん入れて焼く。ビールが美味しい。5人は結構遅くまで楽しんでいたが、金さん疲れているので途中までしか仲間に入れてもらえない。 途中で引き上げて、和さんにシャワーをかけてもらってからぐっすり眠ってしまった。 和さんと若ものたちは中に入ってからも、お酒も飲んで遅くまで盛り上がったらしい。 8月20日(土)晴 5時頃目覚める。 高原の朝のように涼しくて気持ちがいい。西の窓を開けると、犀川の川面から上がったのか?山手に霧が長く流れて陽の光に輝いている。 朝食を済ませてから、金さん&和さん、娘二人の四人で近所の親せきと伊切(牧野島より更に標高が高いところにある)親せきに挨拶回りにゆく。 途中自動車の窓から、昔(金さんの子供の頃)家の田んぼがあった辺りを「この辺だろう?」と見当を付けて探すが見つからない。 斜面に何枚もある狭い棚田に、子供の頃よく親の手伝いに来ていたのだが、田んぼのあったらしい場所に木や雑草が鬱蒼と生い茂っていて昔の面影は残っていない。そういう風景が家の田んぼだけではないのだ。家の田んぼのあった辺りの両隣も、またその先も同じような状態である。 食料自給率40%と、世界の先進国と呼ばれている国の中でも、際だって低い日本の現状を思うと「これで良いのだろうか?」と考えさせられてしまう。 伊切の親せきのおばあちゃんの家まで自動車では行けない。和さんと娘二人に行ってもらい一人自動車の中で待っていると、無人の廃屋の軒のところに大きな蜂(スズメバチ?)の巣がみえた。 幸い今は蜂がいないらしい。 しばらくすると「あいにく留守だったから、土産と書き置きをしてきた」と和さんたちが戻ってきた。 山道をログハウスに戻ると、「伊切のかあやんから家に電話があったよ!」と近所の家のおばあちゃんが電話の内容を教えてくれた。 伊切のおばあちゃんは、家の裏手にある畑に行っていたので留守だったらしい。 おばあちゃんには同じ信州新町に嫁いでいる娘(金さんの同級生)がいるので、その娘に頼んで夕方一緒にログハウスに会いに来てくれるという。 確かおばあちゃんは87歳か88歳になるだろう。 その歳で山村で一人暮らしをして畑仕事に精を出している。 夕方会いに来てくれるという話しを聞いて嬉しくて涙がでそうになった。 次に大原(川向こうの地区名)にある親せき(金さんの母の実家)に挨拶にいく。 父ちゃん(金さんの従兄弟)が出てきて 「久しぶりだからぜひ上がってくれ」と言っていう。 「車椅子で上がれない」と遠慮していると、それならと、父ちゃんと息子で畳の上まで持ち上げてくれた。 お茶請けに刺身こんにゃくのように切った「えご※」を皿に盛って出してくれた。 長女はむかしここで食べた「えご」の味を覚えていて 「美味しい」「美味しい」と次女にもすすめていた。 もう一つ出してくれたお茶請けは実に珍しい物だった。クロっぽい色をしている佃煮のようで、食べると実に美味しい。これも海草を使っているのか?と思った。 「材料は家で採れた物」というヒントが出たが、誰一人当てることができない。 父ちゃんがいうには、「作り方は簡単だ、材料を入れてタダひたすら煮るだけ」だという。 驚いたのは材料である。 答えは「きゅうり」だった。きゅうりに砂糖と醤油を加え一日ひたすら煮るだけでできるという。 信州新町では個人の家でもこんな珍しい物を作っているのか?金さん&和さんは驚いた。 話しを聞くと町の若い主婦が工夫してできた食品らしい。 「これを名物の一つととして道の駅で売れば面白いのに」と思った。
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熟年夫婦の田園生活 | 車椅子の視線から |