『熟年夫婦の田園生活』 | 『車椅子の視線から』 |
2005年5月21日、鳥取県倉吉市で行われた敬くんとみっちょマンの結婚式に招待され、金さん&和さんで出席しました。みっちょマンは金さんのインターネットの友人です。敬くんは秩父市に住む金さんの姉さんの長男で金さんの甥になりますす。こんどの鳥取旅行で、二回目の脳出血の後遺症で車椅子の生活になり久しく控えていた飛行機にもようやく乗れました。 「為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」を座右銘にしている金さんは鳥取旅行で少し自信がついたので、次はどこの旅行しようか?と夢がふくらんでいます! |
5月20日の羽田空港までの予定は、和さんが事前に大宮発羽田空港行き朝7時のリムジンバスを電話で予約していた。 リムジンバスに遅れないようにするために、栗橋駅から大宮駅までは、和さんが前日に栗橋駅まで行って切符を買っておいてくれた。これは栗橋駅が朝7時までは職員が1人で切符を売ったり、改札口で質問を受けたり、金さんのように車椅子利用者がいる場合は簡易スロープを持ってホームに下りなければならないからである。 当日必要な和さんのショルダーとリュック、金さんのバックは残して、鳥取での着替え、金さんのねまきなどは宅急便で最初に泊まる宿の「ブランナールみささ」に送ってもらった。 |
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2005年5月20日(金曜日) 晴れ ホームで電車を待っていると、栗橋駅5時:52分発の電車がホームに入る少し前に、事務室や改札口のある二階から駅の職員が簡易スロープを持って下りてきた。 朝7時までは職員が一人らしいので、金さんのような車椅子利用者がいると職員も大変である。 それでも簡易スロープを車椅子で押し上げてくれながら「大宮駅に連絡を入れておきます」と言い、ホームで見送ってくれた。ありがたいことである。 ふだんは空いている早朝の電車が予想に反して満員だった。 社会科の見学か遠足にでも行くのだろうか? 古河市の中学のマ−クを付けた学生が最後尾の車両の座席だけでなくつり革につかまったり、 しゃがんでおしゃべりしている。 金さん&和さんと一緒に乗りこんだ通勤客がいまいましそうに開いているところに立った。 誰も口には出さないが通勤する人たちの目は「今日はついていない!」と言っている。 次の東鷲宮駅でのった通勤客も、その次の久喜駅でのった通勤客も同じように見えた。 そういえば金さんが通勤していた頃も、毎年何回か修学旅行などでこういう「ついていない」日があった。 約30分で大宮駅に着いた。 栗橋駅から連絡があったのだろう。ホームに簡易スロープを持って駅員が二人待っていた。 和さんが、駅員が渡してくれた簡易スロープを車椅子を押してホームに下りた。 「どちらまで行かれますか?」と聞くので 「西口のリムジンバス乗り場に行きたい」と言うと、 「ホームの前のほうにあるエレベーターを上って改札を出て連絡通路を行けばいい」と教えてくれた。 連絡通路を西口に進んだが肝心の一階に下りるエレベーターの乗り場が商店街の開店まで使えない。 どうしようか?迷っていると、先ほどの駅員が二人追いかけてきた。 「エレベーターが使えないのでエスカレーターで下りましょう」 西口のエスカレーターも利用者が多いのだろう。車椅子利用者のためにエスカレーターを止めるのではなく、車椅子を後ろから下ろせるようにして前後逆にして、職員がついて車椅子をしっかり押さえて一階迄降ろしてくれた。 車椅子の生活をしていても、交通機関でこういうサービスをしてくれるのでありがたい。 これからもできるだけ機会をつくり旅行に出かけたいと思った。 |
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大宮駅西口 から羽田空港行きリムジンバスの乗り場は大宮そごうの直ぐ側にあった。 7:00発は京浜急行のバスらしい。 困ったのは歩道からバスに乗るための通路に 柵があって一人しか歩いて入れない。 車椅子で入るのは無理のようだ。(※写真) こんなこともあるだろうと、車椅子に杖をくくりつけて きたのが役にたった。 バスが来たので、後ろに並んでいる客に 「お先にどうぞ」と乗ってもらい 車椅子から立ち上がり和さんに左手を引いてもらい そろりそろりと足を引きずるようにゆっくりと歩く。 朝で寒いのと、車椅子に乗っていたので 足が硬直していてうまく前に足が出ない。 リムジンバスは低床型ではなく普通の大型バスだった。 乗車も和さんに左手を引いてもらい右手で座席の上につかまりゆっくり最前列の座席に向かった。 もう一方の最前列にいた中年夫婦の奥さんの方が見かねて手伝ってくれた。 奥さんは介護の経験があるのだろうか? 「先に利き足から!」と手際が良い。 やっとの思い出座席に座った。 和さんが運転手に「車椅子はどうするんですか?」と質問すると、 「車椅子は後で座席の下部にある荷物入れにいれるのでそのままにして」と言う。 運転手はさらに、和さんに向かって 「それより早く乗車券を買ってくれませんか」と言った。 なるほど、他の客は入り口で乗車料金を払ってから座席に座る。 障害者の金さんを座席に座らせるのにもたついているのでいらだちを感じたらしい。 残念なことに京浜急行のリムジンバスの運転手には障害者への思いやりが全く感じられなかった。 リムジンバスは定時に出発して首都高に入り池袋のサンシャインの横を通って銀座線を羽田に向かった。さらに東京の新名所 レインボーブリッジを渡り定時に羽田空港の第2旅客ターミナルビルに着いた。 第2旅客ターミナルビルでは、係員が何人もいて下りるのを手伝ってくれた。 |
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二回目の脳出血から久しく飛行機に乗るのを控えていた。久しぶりに乗る飛行機では、車椅子の生活をする障害者としていろいろな体験をした。気がついた点をいくつか上げて、これから飛行機を利用する障害者の参考にいたいと思う。 ※ 鳥取旅行で少し自信がついたので、これからいろいろなところへ行ってみたい。 |
@ 障害者トイレで 羽田空港二階の出発ロビーの障害者用トイレでの出来事 障害者用トイレの前で待っているがなかなか開かない。ようやくドアが開いて出てきたのは若い健常者だった。「健常者はここを使わないでください!」和さんが思わず声をかける。青年は悪びれるでもなく無言で去っていった。日本人はどうして最低限のマナーを守れないのだろう。 金さんは怒りよりも悲しくなった。 |
A チケットレス ギフトタイプ での失敗 鳥取旅行の飛行機の切符は、全日空の「チケットレス ギフトタイプ」で敬くんから贈られたものである。 敬くんのメールのコピーを持って、出発当日羽田空港の全日空の出発ロビーのカウンターに行けば搭乗券に簡単に変えられると思っていた。敬くんの両親も同じだった。 敬くんからのメールには、 「羽田の飛行機の切符の受け取りは以下の要領でお願いします。 http://www.ana.co.jp/domestic/sales/gift_type/index.html 申し訳ないのですが、受け取り番号がわからなくなってしまったので予約番号と一緒にお二人 それぞれの身分証明書を提示して受け取ってください。」 とあったので、身分証明書があれば大丈夫と安易に考えていたがそうではなかった。 ANAカードで航空券をご購入した本人がいないのだから「予約番号」と「受取番号」が大事らしい。 「出発当日空港にて「予約番号」と「受取番号」のみで航空券の受取りができます。」と書いてあるのは伊達ではなかった。和さんの交渉ではラチがあかないので、敬くんの両親の到着を待ってから、和さんと姉さんでカウンターに行ったが交渉は長引いて カウンターの係員の機転でようやく航空券を受取った時には約一時間が過ぎていた。 おかげで2時間半も前に空港に着きながらコーヒーを飲む時間もなかった。(笑い) |
搭乗手続きを済ませるため、しばらく待っていると係の人が 「飛行機内はこちらに乗り換えてください」と機内用の車椅子を押してきた。 和さんの介助でそれに移動する。(この車椅子は自分ではこげないらしい) 乗り心地の良い自分の車椅子は「荷物扱い」となるのでしばらくお別れである。 全日空の搭乗口での荷物検査は不愉快としか言いようがない。 金さんを含めて4人が荷物をかごに乗せてx線検査を受けて通りすぎようとすると 車椅子の金さんだけが引っかかりボデイチェックを受けることになった。 「お持ち込みのカバンなどはX線検査装置を通し、お客様自身は金属探知機のゲートをお通りいただき、検査をさせていただきます。 金属探知機で反応があったお客様については、履き物の検査をさせていただくことがございます。また、カバンなどを開けさせていただいたり、ボディチェックをさせていただくこともございますので、ご了承ください。」 という決まりのようだが、全日空の説明では全日空が用意する機内用の車椅子に乗っていると必ず金属探知機の反応があるという。 そうであるならば、金属探知機の反応がない車椅子を開発すべきではないか。「障害者だから文句を 言わないでボディチェックを受けさせるだろう」と航空会社が安易に考えているとすればこれは立派な障害者差別であろう。 金さんのボディチェックは、女性の係員がリハビリシュウズと帽子を脱がせて、足の先から頭まで全身を触って検査した。 他の連れ3人は健常者で何事もなく通り過ぎた。 金さんは思った。いくら過去に車椅子を利用した犯罪者がいたにしても(?)、車椅子を利用するものだけはすべてボディチェックの対象になるというのは理解できない。 もしかしたら、「悔しかったら歩いてここを通り抜けなさい」 ということだろうか?(笑い) 金さんは歩けないので車椅子を利用しているのだ! しかし、生きていればいろいろなことに出会う。 辛いことも「貴重な経験ができた」と忘れようと思う。 |
機内用車椅子に移動すると、係の人がその車椅子を飛行機まで移動するリフトカーの所まで押してくれた。 この便のリフトカーの利用者がすくないので、金さん、和さん、敬くんの両親の4人がリフトカーに案内された。車椅子の金さんは係の人が飛行機の中まで案内してくれた。 係の人が飛行機の入口で機内用車椅子の車輪をはずし、肘掛けも折り曲げる。そうしないと、機内の通路が通れないようだ。通路すれすれの乗り心地の悪い車椅子で指定された座席まで案内され、介助されて座席に座った。 |
見たような人が搭乗してきたと思ったら和さんが耳元でささやいた。「鳥取県の片山知事よ」 片山知事は左の最前列に腰掛けた。 飛行機は羽田空港の出発が少し遅れた。 金さん&和さんの席は通路の右側の席で、車椅子の金さんが座りやすいように通路側の6Dが金さん、6Eが和さんだった。 客室乗務員が毛布を持ってきたので借りて膝の上にかけその上からシートベルトを締める。 飛び立って少し経つと機内放送で富士山の辺りを飛んでいることを報せるが、晴れているのに外の景色は金さんの席からは余りよく見えない。見えるのは通路の左側かも知れない(?) そのうちに機内の飲み物サービスがある。金さんは羽田空港で飲めなかった暖かいコーヒーを、和さんはカボスのジュースをもらって飲んだ。 気象条件が良かったのか飛行中あまりゆれないので楽だった。 飛行機は鳥取空港に予定より少し遅れて到着した。 |
鳥取空港で敬くんとみっちょマンが 出迎えてくれた。 金さんは自分の車椅子に乗り換えて 障害者用トイレに寄る。 敬くんとみっちょマンの車に 金さん&和さんが乗り、敬くんの両親 は迎えのハイヤーに乗った。 ・・・鳥取空港で・・・ 昼食 鳥取砂丘
覗岩 |
「ブランナールみささ」は鳥取県東伯郡三朝町にある 町営の国民宿舎である。 身障風呂がある倉吉市に近い温泉の宿泊施設ということで、敬くんとみっちょマンが予約を取ってくれた。 6階の部屋から外をみると三徳川(三朝川)が流れている向こうが昔からの温泉街だと、翌朝一人で散歩 してきた和さんが教えてくれた。 久しぶりに飛行機に乗り鳥取まできたので少し疲れたので部屋のベッドで一休みすることにする。 |
結婚式がおわったので、新郎新婦はじめ出席者が幼稚園の教室を借りて着替えをした。 昼食はそろって倉吉パークスクエア内にある「鳥取県立倉吉未来中心」の中にあるレストランでした。 ここも海で獲れた魚が美味しい。 |
隠岐大山国立公園にある大山を 見せてくれるという。 緑の風の中で大山環状道路の高原 ドライブを楽しんだ 大山は見る方角によって姿を変える。 南から眺める大山は荒々しくまさに 「神の山」と呼ばれるのに相応しい。 西から眺める大山は優美な姿で伯耆 富士と呼ばれるという。 中腹にある大山寺を横に見て 海辺に下りて皆生温泉に向かう。 |
結婚式の日の泊まりは皆生グランドホテル天水&華水亭の華水亭の方である。 華水亭のオープンは平成元年で平成14年に増築されたという。 新館「湯賓館」の4階に敬くん、敬くんの両親と金さんと和さん、みっちょマンのご家族 が泊まった。 ホテルの目の前が日本海なのでラウンジから松の林と海がよく見える。 窓から海のみえるなかなか良い部屋である。みんながお茶を飲んで一休みした。 敬くんのお母さんが みっちょマンのために縫った着物を 持ってきていてみっちょマンに着せてくれた。 みっちょマンが着るとよく似合う。 敬くんとみっちょマンが記念に 写真を撮った。 金さん&和さん、敬くん、敬くんの両親の部屋は華水亭新館の4階にある 和室とベッドが二つの洋室が付いた部屋だった。 金さん&和さんが洋室を使った。 部屋には車椅子で入れる障害者用トイレがなかったので 金さんは2階にある障害者用のトイレを使った。 華水亭新館「湯賓館」の2階には大浴場と 貸し切り露天風呂がある。 夕食後に貸し切り露天風呂「瞑想の湯」を借りた。 「瞑想の湯」は露天ではない。 屋内の丸い檜の風呂だった。 しかし、金さんは木製の手すりを使っても 一人では入れない。 和さんに手伝ってもらい入れてもらった。 久しぶりの温泉である。 ホテルのホームページの効能書きに 健康増進・皮膚病・婦人病・胃痛・神経痛などと書いてあるだけあって、何か効きそうだ。 ゆっくりと疲れをとった。
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5月22日(日)曇り時々晴 帰りの飛行機は米子空港からだった。
というルールは一見すると乗客全員に平等のように錯覚する。しかし、このやりかたは断じて平等ではない。明らかな車椅子利用者への差別だ。搭乗手続きでは、往路と同じように機内用の車椅子に乗り換えたので、金さんだけが靴と帽子を脱がされてボデイチェックがあった。「機内用の車椅子が金属探知機に反応したらボデイチェックをする。」 航空会社が用意する機内用の車椅子が金属探知機に反応しないようにしないようにするとか、差別解消の方法はいろいろあるだろう。それを探して車椅子利用者も気持ちよく飛行機の旅がでいるようにしてもらいたいと願っている。 羽田空港行きの飛行機はこの日国内便の飛行機のやりくりがつかず、国際線を飛ぶ飛行機になった。 案内された座席は通路右側でゆったりした2席並ぶ席だった。 下界は雲が多く景色はあまり見えなかったが乗りごこちは悪くなかった。 羽田空港から埼玉県の自宅までは、群馬県に帰る甥の車に便乗させてもらった。 夕方5時頃に自宅に着いた。 鳥取旅行は、感動あり、涙ありの楽しい旅だった。 疲れも思ったより少なかったので、金さんはまた自信がついた。 一緒に旅行した和さんは疲れたようだが、ゆっくりと疲れをとって、 金さん&和さんで次の旅行を計画しようと思う。
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